古代地中海世界の海戦では、艦首の衝角を敵艦に当てて破壊する戦法や、船を敵に寄せてはしごを使って戦士を敵艦に乗り込ませる戦法などが取られた。艦船も人力で漕ぐトリエーレ(90t、120人乗り)から、やはり人力ではあるが更に大きいガレー船(300t、200人乗り)へと大型化していった。アテナイなどの都市国家では、海軍が運用する三段櫂船の提供は富裕な市民の負担とされ、自力で歩兵の兵装を揃えることができない貧困層が船の漕ぎ手となった。海軍力によるペルシア戦争の勝利は、これら貧困層の政治的発言力を増すことにつながった。
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6世紀頃から東地中海では、古代ギリシャ・ローマ以来の造船技術を受け継いだ東ローマ帝国(ビザンティン帝国)が、火炎放射器ギリシャの火を持つ戦艦デュロモイを擁して海上の覇権を握った。しかし、やがて7世紀にエジプト・シリアを征服して東地中海世界に参入したムスリム(イスラム教徒)の力が増し、シチリア島やマルタ島、イベリア半島にまでムスリムの支配が及ぶようになる。このイスラームによる覇権は、パクス・イスラミカと呼ぶ。キリスト教化された西ヨーロッパはムスリムとの通商を行わなかったため、古代以来の地中海全体を覆う海上通商路は分断された。
一方ヨーロッパの大西洋側では、北からヴァイキングと呼ばれるノルマン人たちの襲撃が及ぶようになっていたが、西ヨーロッパ各国はこれに対抗する海軍を発達させず、ほとんど押さえ込まれたままであった。ノルマン人の勢力は、大西洋のみならず、地中海のシチリア島にも及んだ。